長者原発電所
CHOJAHARA PLANT
原始の山系、飯豊・朝日の山懐
白い森と生きる発電所

産業史を紐解く、
長者原発電所

町の発展とともにある発電所

長者原発電所は、合金鉄を主要生産品としていた日本重化学工業(株)の前身、日本電興(株)の小国進出を機に自家用発電所として建設され、1938年に運転を開始しました。小国郷において、発電所や工場、カーバイト貯庫など一連の建設は、経済発展の礎となり産業振興の象徴でした。町の中心部で社会的集積をもち、現在の町の骨格を形成し、困窮する寒村を工業地帯へと変えていったのです。発電所は、長い水路をもつ水路式で取水口から水槽までの約4,600mにも及ぶ導水路、水槽から棟屋までの有効落差約180mから生み出す最大出力は12,000㎾(1999年、12,400㎾に認可変更)と、当時の水力発電としては驚異的な大きさでした。そしてさらに特筆すべきは、発電棟の設計をすでに高名な建築学者であった内藤多仲が担当したことでした。内藤は、鉄骨構造・耐震構造の理論を確立し、関東大震災にも耐えた日本興業銀行本店、後に手掛ける東京タワー、通天閣の設計など数多くの建築設計に関わってきました。発電棟の意匠を見ると、建屋内部、水車フロア天井のRC壁、通風口へ至る空間設計、大屋根を支える軽快な鉄骨トラスの切妻屋根など豪雪地帯ゆえのシンプルで剛健な壁面で構成された造りが、内藤の一連の仕事を連想させます。発電所から生産工場建設、さらに鉄道(現:米坂線)も敷かれるというインフラの整備が同時に行われたプロジェクトは、単発的な工場建設と違い、規模こそ小さくとも小国郷において総合的な工業地帯を創造する事業であり、内藤こそが腕を振るうことができる仕事でした。発電所は竣工から約80年、何度か補修工事が加えられましたが、往時の景観を良く残しており、建屋を残しつつ新発電所を現在建設中です。

長者原発電所改修工事の特徴

現在、長者原発電所は2021年3月より改修工事を実施しております。既設建屋に新建屋を隣接し、3台あった水車を1台に統合するとともに12,900kWへ出力アップを図ります。また、導水路の改修にレジンコンクリートパネルによる内張工法を採用し、コスト低減を図るとともに、既設設備の流用などさまざまな合理化を図っております。

モダンムーブメントに選定

長者原発電所は2009年「(社)日本建築学会DOCOMOMO Japan」から建築遺産的価値を評価され、日本におけるモダンムーブメントの150選に選定されています。変化の激しい産業界において、建築から80年以上を経た建築物がほぼ原形をとどめ現役のまま使い続けられている貴重な史料です。小国駅近くにある旧日本電興社寮も内藤多仲の設計で、山荘風趣の寮内には内藤多仲を紹介するコーナーも設けられ、地域史を伝える文化財として大切にされています。

長者原発電所の歴史

1938年 建設事務所にて
1939年 発電所全景
1939年 発電機設備
1939年 水槽全景
1939年 温身平取水口
1941年 水槽で水神祭り
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