平良発電所
DAIRA PLANT
日本で最も美しい村にある
発電所

100年働き続ける、
秋田における
水力発電の魁

発電所の歩み

平良発電所は、1918年7月4日、大日本鉱業株式会社(1915年設立、東京都)吉乃鉱山(秋田県平鹿郡増田町)所属の自家用水力発電所として操業を開始しました。時代は折しも近代産業勃興期、大日本鉱業は銅・硫黄・亜鉛の採鉱・製錬を秋田・山形県で行ってきました。時を経て、鉱脈の枯渇、鉱害対策、銅価格の低落による営業不振のため、1976年、解散決議が行われ鉱山を閉鎖、平良発電所は同社から譲渡の申し入れがあり、1977年9月30日、監督官庁の許可を受け、当社へ譲渡され、同年10月1日、当社4番目の発電所として営業運転を開始しました。
平良発電所は、鉱山の自家用発電所として建設された後、太平洋戦争をはさんで激動する電気事業史の変遷の中で何度か名称や持主が変わるなど紆余曲折を経て今に至ります。当社の発電所では運開から約100年という長い歴史を持つ発電所です。

コンパクトな水車構造

平良発電所で使われている水車は「二輪フロンタル型フランシス水車」です。製造は1918年。現在のように渦巻ケーシングの製造技術がない時代に多く採用されました。二輪の水車(ランナ)構造のため単輪よりも小型にでき設備としてコンパクトにできる利点と流量あたりのランナの効率を上げることができる利点があります。当時、比較的低い落差と成瀬川の豊富な流量から採用されたものと思われます。
大正、昭和、平成と三世代にわたり水を送り出してきた今では少ない型の貴重な水車です。

平良発電所の概要

宮城県、岩手県、秋田県にまたがる栗駒山に源を発する雄物川水系成瀬川の中流に位置し、成瀬川を横断して重力式溢流型の石張玉石コンクリート造りの取水ダムを築造。右岸側に設けた取水口より最大4.17㎥/sを取水、導水路延長3,260mを経て水槽に導き、さらに長さ80mの水圧鉄管1条を経て、最大落差32.7mによって最大出力1,000kWを発電し、成瀬川に放流しています。発生電力は東北電力(株)の送電線を通じ同社に供給しています。
雄物川水系成瀬川は東成瀬村を北流し、岩井川で西へ向きを変え横手市で皆瀬川に合流します。成瀬川は、灌漑用水にも使用され、本流に伊達堰、発電所水槽から取水している平良堰の農業用堰があることから、灌漑期は取水地点の流量が1.39㎥/sをこえる場合にかぎり取水できる条件が附されています。